廃業寸前から人気旅館へ。リピート率88.6%を誇る宝生亭のファンマーケティング戦略
「お客さま、もう二度と来ないで下さいね」
一見、目を疑ってしまうような言葉だが、これを実際にお客さまに言い放った旅館がある。石川県加賀市の温泉旅館『山代温泉 加賀の宿 宝生亭』だ。
いかにお客さまから選んでもらうか。そのためにお客さまを神様のように扱い、心を込めたおもてなしをする温泉旅館が大多数を占める中、 宝生亭は“お客さまを選ぶ”。どういうわけか、この言葉を言い放ってから宝生亭のリピート率は上昇。良いときであれば90%を超えるときもあるという。
一般の旅館が絶対にとらないであろう選択に踏み切ったのか?宝生亭の経営戦略を担う専務の帽子山宗氏、件の言葉を言い放った女将の帽子山麻衣氏に話を伺った。宝生亭が考える、顧客体験のあり方に迫る。
競争すれば、“負ける”自信しかなかった
宝生亭は1912年に創業。約100年ほど続く老舗の温泉旅館だ。そんな歴史ある温泉旅館に帽子山宗氏がやってきたのは、2009年のこと。その理由は銀行の不良債権となった旅館の経営再建にある。
2000年代に前経営者により経営難に陥り、廃業にまで追い込まれてしまった同館を、石川県内で複数の温泉旅館を経営する宝仙閣グループが買収。同グループの社長が息子の帽子山宗氏を送り込み、経営再建を託したというわけだ。
山代温泉 宝生亭(ほうしょうてい)専務取締役 帽子山 宗
昭和51年9月2日生まれ和倉温泉で旅館を営む帽子山家の二男。大学卒業後は建設会社の営業マンであったが、3年の勤務を経て株式会社宝仙閣に入社。
「突如、『明日から宝生亭の経営はこの夫婦が行います』と発表されて。周りの人たちは、『誰だこいつらは…』という感じで、かなりピリピリした雰囲気でした。また引き継ぎの条件も諸々あって、周りからは不可能だと思われていた気がします」(宗氏)
“加賀温泉郷”と呼ばれるなど、一大温泉街として繁栄した石川県加賀市。しかし、当時は温泉旅館の閉鎖が続くなど厳しい状況だったという。そんな中でも、帽子山宗氏の中には「いけるかな」という感覚があったそうだ。その根拠はどこにあったのか。
「能登の人口と加賀の半径50km以内の人口を比べてみると、後者の方が5倍多い。しかも、他の旅館は県外のお客さまをターゲットにしている。これは5倍以上のチャンスがあると思い、まずは半径50km以内の人をターゲットにして関係性を築いていくことにしたんです」(宗氏)。
温泉旅館といえば、一般的には大手旅行エージェントと契約を結び15%以上の手数料を支払い、県外のお客さまを集客することが基本だが、帽子山宗氏は「無名な小さな旅館が他と同じことをやって競争しても勝機はない。むしろ負ける気しかしないので、絶対に勝てる市場を選び、そこで1番になろうと思いました」と、当時の思いを語る。
客は、選べ
半径50km以内の人をターゲットにし、集客に注力することで、社長交代から1年で黒字化を達成した宝生亭。経営自体はうまくいっていた反面、理想とする旅館のあり方からは離れていったという。
今でこそ“お客さまを選ぶ”宝生亭だが、当時はお客さまからのクレームには心を持って対応し、我慢し得ない程の要望にもできる限り応えるなど、「集客のために!」ととにかく媚を売っていた。その結果、現場がどんどん疲弊していったのだ。
「そんな状態のときに、『旅館は汚いし、料理も美味しくない』というクレームが出たんです。そこで女将の心が折れて、『もうダメだ』と泣いて帰ってきて。また、何よりも集客を優先していたせいで忙しさが増し、従業員の不満も高まっていたんですね。売上ばかりが上がっても、嫁やスタッフ、お客さまの誰も幸せになっていない…。そのときにふと、『お客さまがくるから不幸になるんだ。だったら、お客さまは来なくていい』と思ってしまったんです」(宗氏)
お客さまが来なければビジネスが成り立たない温泉旅館であるにも関わらず、「お客さまが来なければいい」という、ある意味異常とも言える思いを口にした帽子山宗氏。その言葉を聞いた女将の麻衣氏は、翌日、宴席で理不尽なクレームを言ってきたお客さまに「もう二度と来ないで下さいね」と言った。
「お客さまが神様かどうかは私達が決めるものであって、お客さま自身が決めるものではないじゃないですか。現に、私の中でも神様だと思うお客さまはいるので、“お客さまは神様”という言葉がおかしいとは思いませんが、自分で言うことではないなと思いますね」(麻衣氏)
宝生亭を訪れるすべての人に無条件にいい顔をするのではなく、こんな旅館でも「好き」と言ってくれる人に対して心をこめておもてなしをする。それが宝生亭の選択だった。例えば、麻衣氏はすべての宴席に参加し、良いと思ったお客さまがいたら、連絡先を書いてもらい顧客名簿にする。そして定期的に手紙やDMを送り、特別な関係性を構築していく。
「昔から人を喜ばせるのが好きで。『えー、こんなもの貰えると思っていなかった。ありがとう』と言われるのが好きなので、とにかく人がやっていないことをやって喜んでもらいたいんですよね」(麻衣氏)
温泉旅館の常識の逆をいく、いいお客さまだけを選んでこだわったサービスを提供した結果、良いときで90%を超えるリピート率に。また、いいお客さまが新たないいお客さまを呼び込んでくるなど、自然といいお客さまを獲得するスキームが完成していったという。
実際、宝生亭は以前に比べ、新規顧客獲得のための広告費は1/6にカット。一方で、既存顧客の広告費を3倍に増加している。新規顧客獲得のために行っているのはFacebook広告のみだが、それも0歳〜2歳のこどもがいる女性で、滋賀県あたり在住の人まで、と細かくセグメントを切るほどのこだわりっぷりだ。
客室露天風呂より、200羽のアヒル風呂
2009年の買収から、現在で8年。石川県加賀市にはない「家族旅行に最適の宿」という独自の立ち位置を築き、成長を遂げている宝生亭。彼らは、お客さまを新規、リピーター、ファン、信者の4階層に分類。何よりもファン、信者の満足度を高めることに注力しているという。
「そのために期待値は上げすぎないようにしていて。例えば、『露天風呂にサウナがあったらいいな』と言われた場合は違う旅館をオススメするくらいです。お客さまのニーズに応え続けていくとどんどん要望が増え、クレームが生まれる原因になってしまう。お客さまの役に立つことはするけれど、期待に応えるようなことはしません」(宗氏)
だからこそ、宝生亭は設備の良さや料理の美味しさといった、モノを売るのことに重点を置かずに“体験”を売ることにこだわっている。例えば、事前にこどもの名前を確認しておき来館時には下の名前で出迎えるほか、貸切露天風呂にあるアヒルを持ち帰ってもらい宝生亭をいつでも思い出してもしてもらうといった工夫をしている。
「家族旅行はこどもを喜ばせることが成功の条件。だからこそ、旅館の玄関を出て家に帰ってからも、『宝生亭に行って良かった』と思ってもらうことにこだわっています。我々は旅館ではなく、旅行を売っているんです」(宗氏)
こうして、他の温泉旅館にはない体験を提供することでファン、信者の満足度がさらに高まっていき、リピータになってくれている。また、創出した利益はファンや信者のための新たな設備投資に充てている。
有名な温泉旅館が絶対にとることはないでろう、新規顧客ではなく、ファン・信者に力を入れることがリピート率88.6%という驚異的な数値につながっているのだ。
最後に余談だが、「帽子山さんが星野リゾートの社長だったら、どういう戦略をとりますか?」と聞いてみた。すると、「あの戦略は星野リゾートだからできることです。ほしのや、界と上手くわけていますしね。我々にはとれない戦略です。まぁ、我々の主戦場の加賀温泉では同じ戦略はとれない、宝生亭は宝生亭ならではのやりかたがマッチするわけですから」と答えてくれた。
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